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小林政春 (21期) : ウィキペディア日本語版
小林政春 (21期)[こばやし まさはる]
小林 政春(こばやし まさはる、1946年1月2日 - )は、日本競輪学校第21期生の元競輪選手日本競輪選手会埼玉支部に在籍していた。
なお、同姓同名の日本競輪学校第47期生の元競輪選手が存在するが、別人である。
== 来歴 ==

埼玉県立熊谷高等学校に在籍時代の1964年全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(高校総体)のスクラッチ(現 スプリント)及び速度競走で優勝。その後競輪学校第21期生となった。競輪学校の同期には、田中博伊藤繁河内剛大宮政志らがいる。
1965年9月9日大宮競輪場でデビューし2着。初勝利は同年10日の同場。
1983年4月より制定されたS級では一度も勝ち星がなく、また、特別競輪における実績もないが、第二次世界大戦後に生誕した競輪選手としては、2010年8月11日現在、唯一の900勝以上達成選手である。
この要因にはいくつかあり、一つは競輪のデータバンクであるKEIRIN.JPには、優勝回数歴は1976年以降しか記録されていないが、にもかかわらず、48回の優勝実績があること〔通算戦績 〕。さらに、1995年まで、普通競走(トップ引きと呼ばれる選手が存在する競走)という種類の競走が行われたが、初日に1着を取って準決勝に進出すると、準決勝ではトップを引いて9着(末着)に終わるが、最終日の「負け戦」(コンソレーション競走)で1着を取るというパターンのケースが少なくなかったことが挙げられる。
なお、同期ナンバーワンの実績を挙げた田中は通算771勝、伊藤は同593勝である。
2002年7月31日、選手登録削除。通算戦績3221戦946勝。通算勝利数としては、2010年8月11日現在、史上9位である〔http://www.iris.dti.ne.jp/~tsuji/gamble/mania/0101.html#01〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小林政春 (21期)」の詳細全文を読む



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